ウナギは一度も産卵を目撃されていない——1億年の謎と西マリアナ海嶺
日本人がこれだけウナギを食べていながら、誰もウナギが産卵する瞬間を見た人はいない。
産卵場所は長年「謎」だった。2018年に東京大学の研究チームがついに産卵地点を特定したが——それでもまだ、親ウナギが産卵する現場は一度も確認されていない。
ウナギの旅
川や池で5〜10年暮らしたニホンウナギは、ある秋の夜、海に向かう。「銀ウナギ」と呼ばれる成熟した姿で。
そこから約3,000kmを泳ぐ。行き先は西マリアナ海嶺——マリアナ諸島の西方沖、水深3,000〜4,000mの深海に並ぶ海山群。北緯15度、東経142.5度あたり。グアムやサイパンより西の、地図に名前すらない場所。
そこで産卵する(はずだ)。
でも「はずだ」としか言えない。親が産卵する現場は未確認だ。
なぜわかったのか:逆算の手法
2018年の東大チームは産卵地点を「直接確認」したのではなく、逆算した。
方法:
- 過去すべてのレプトセファルス(ウナギの幼生)採集記録
- 幼生の体サイズ(小さいほど産卵場所に近い)
- 海流データ
- 海底地形図
これを重ね合わせて「小さな幼生がここから流れてきている」と絞り込んだ。名付けて「海山仮説」。産卵タイミングは新月に合わせるという「新月仮説」も組み合わせた。
証拠は状況証拠の積み上げで、産卵そのものの目撃ではない。
レプトセファルスという変な赤ちゃん
卵から孵ったウナギの幼生は「レプトセファルス」——ギリシャ語で「小さな頭」という意味。
普通の動物の赤ちゃんは頭でっかちだが、ウナギの赤ちゃんは頭が小さく、体が透明な木の葉形をしている。ウナギとはまったく似ていない別の生き物に見える。
この透明な木の葉が、北赤道海流に乗ってフィリピン沖まで移動し、そこから黒潮に乗り換えて北上する。4ヶ月ほどかけて日本近海に到達するとき、「シラスウナギ」に変態している。全長6cmの、透明な糸のような存在。
川に遡上して、また5〜10年を過ごし、また海へ。
1億年同じことをしている
ウナギの祖先は1億年以上前から存在していたとされる。
川と深海を往復するこの奇妙な生活を、ずっと繰り返してきた。大陸が動き、氷河期が来て、人類が現れて文明を作り——その間ずっと、マリアナの海山に向かって泳いでいた。
そして人間はまだ、その現場を見ていない。
知っていたのに食べ続けていた
ニホンウナギは現在、絶滅危惧種だ。稚魚(シラスウナギ)の漁獲量は1960年代の1%以下になった時期もある。
産卵場所も、産卵する親の姿も、完全な生活史も——何も確認できていないまま、100年以上食べ続けてきた。
謎のまま消えかけている、ということ。
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