サビはなぜ盛り上がりを指すのか——錆・寂・山葵、語源未確定の言葉
曲の一番盛り上がる部分を、日本語では「サビ」と呼ぶ。
なぜ錆びているのか。なぜ寂しいのか。なぜワサビなのか。
誰も確かなことを言えない。
三つの語源説
説1:寂(さび)説 — 能・俳句から
能や語り物で、「低くて渋みのある声」を「寂声(さびごえ)」と呼んだ。枯れた味わい、侘び・寂びの「寂」。松尾芭蕉が俳句の一番美しい部分をこの言葉で表現し、それが転じて「聞かせどころ」の意味を持つようになった、という説。
静かで深い「美しさの頂点」が、音楽の「最高潮」へ転義した。
説2:さわり誤用説
本来「聞かせどころ」は「さわり」という語が正しかった。義太夫節などで「さわり」とは曲中で最も重要な聞かせどころを指した。ところが「さわり」が「話の冒頭(触り)」と混同されて誤解が広まり、代わりに「さび」が使われるようになった——という説。
誤用が定着して正用になった。よくある話。
説3:ワサビ説
ワサビ(山葵)を縮めて「サビ」という。寿司屋の「サビ抜き」がその証拠。少量でも鼻に刺激が走る、表情が一変する、あの感覚。曲の中で最もインパクトある部分を「ワサビのような場所」と呼んだのではないか。
これが正しいとしたら、音楽のサビは「刺激」の比喩だ。
結論:わからない
語源事典でさえ複数の解釈を併記するしかない。現時点では決定的な証拠がなく、有力説は寂(さび)説とされているが確定ではない。
言葉の来歴というのは、多くの場合こんなふうにぼやけている。起源を辿ろうとすると、複数の流れが合流していたり、誰かの誤用が地滑りのように広がっていたり。「正しい語源」が一つあるという前提自体が間違いかもしれない。
「さわり」との入れ替わりが教えてくれること
面白いのは「さわり誤用説」だ。
「話のさわりを聞かせてください」——これを「話の冒頭部分を」という意味で使う人が多い。でも本来「さわり」は「一番重要な聞かせどころ」で、冒頭ではない。誤解が広まり、「さわり」が本来の意味を失っていった。
その空白を「サビ」が埋めた、という構図。意味が抜けた場所に別の言葉が流れ込む。言語は真空を嫌う。
英語には対応する単語がない
英語圏では "chorus"(コーラス)が近いが、厳密には一致しない。コーラスは繰り返される部分で、必ずしも最も盛り上がるとは限らない。
"サビ"に相当する英語がなくて、「the climax of the song」とか「the hook」とか説明的になってしまう。「hook」は耳に引っかかるフレーズという意味で近いが、やはりズレる。
日本語の「サビ」は輸出できない概念かもしれない。
接続
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