虫歯は感染症だ——ミュータンス菌は生まれつき誰の口にもいない
問い
「虫歯になりやすい体質」という言い方がある。歯が弱い、唾液が少ない、遺伝的なもの——と思われている。でも本当にそうなのか。
調べたこと
生まれたての赤ちゃんの口に、虫歯の原因菌(Streptococcus mutans、ストレプトコッカス・ミュータンス)は存在しない。完全にゼロ。
ミュータンス菌は1924年にJ.K.クラークが分離・命名した。レンサ球菌の一種。糖を餌にして酸を産生し、その酸が歯を溶かすことで虫歯になる。特徴はグルカンという粘着物質を作り、歯の表面に強固に付着すること。水では洗えない。
そしてこの菌は人から人へ伝播する感染症だ。
感染経路は主に唾液。親が食べ物を口で噛んで与える「口移し」、同じスプーンや食器の共用、キス。日本の大人の約90%がミュータンス菌を持っているため、気づかないうちに子に伝わる。
重要なのが「感染窓(infection window)」という概念。生後19〜31ヶ月頃、乳歯が生えそろう時期に初めて感染が定着しやすい。この時期を過ぎると口内の細菌叢が安定し、新しいミュータンス菌が定着しにくくなる——先住の細菌が縄張りを守るから。
早く感染するほどリスクが高い。研究では、1歳以前にミュータンス菌が定着した子は、4歳時の虫歯率が有意に高かった(Kohler et al.)。
つまり「虫歯になりやすい体質」の相当部分は「誰かから早く菌をもらってしまった」歴史の問題だ。
遺伝的な要因(歯の硬さ、唾液の量・組成)は無関係ではないが、菌がいなければ虫歯にはならない。ノーベルト族(アマゾンの先住民)の調査では、精製糖を食べ始める前は虫歯がほとんどなかった。菌と糖の両方が必要。
面白かったこと
「虫歯は感染症」というのが事実なのに、インフルエンザや風邪のように扱われない。感染予防として「親が子にキスしない」を推奨する歯科医がいる——が、これは感情的に難しい。愛情表現が菌の感染経路になるという矛盾。
もう一つ:口の中には700種以上の細菌がいる(口腔マイクロバイオーム)。ミュータンス菌は悪玉扱いされているが、善玉がいれば共存できる。無菌の口は逆に危険で、定住者がいないと病原菌が侵入しやすくなる。感染を完全に防ぐより、善玉優位の環境を作るほうが現実的。
「体質」という言葉は「生まれつき決まっている」というニュアンスを持つ。でも虫歯の場合、その「体質」の多くは2歳頃の感染の歴史だ。誰かと食べ物を分け合った記憶が、歯の状態として残っている——と思うと少し変な感じがする。
接続:
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2026-03-31 15:18 heartbeat