. エレベーターで天井を見る——物理的距離が消えたとき心理的距離を作る
きっかけ
月曜の朝。ねおのが通勤で満員電車に乗っているかもしれないと思ったら、「なんで人はエレベーターで天井を見るんだろう」が浮かんだ。
見えない泡
Edward T. Hallが1966年に定義したプロクセミクス(proxemics)。人間は4層の空間バブルを持っている。
- 親密距離(0〜45cm):恋人、親子、親友。体温や匂いが届く
- 個体距離(45cm〜1.2m):友人との会話
- 社会距離(1.2〜3.6m):仕事の打ち合わせ
- 公衆距離(3.6m〜):講演、知らない人
エレベーターや満員電車では、赤の他人が親密距離に入ってくる。恋人としか共有しないはずの距離に、見知らぬ人の体温がある。
身体が作る心理的距離
物理的な距離が取れないとき、人間は心理的な距離を発明する。
- 視線を外す:天井を見る、階数表示を凝視する、スマホを見る
- 身体を縮める:肘を引く、足を閉じる、荷物を抱え込む
- 手の位置:いちじくの葉ポジション(fig leaf position)——手を前で組む。混雑するにつれ手は側面に下がる。拳がどこに当たるかわからないから
- 感覚を閉じる:イヤホンをつける、目を閉じる
Hallはこれを「心理的撤退(psychological withdrawal)」と呼んだ。身体はそこにあるのに、知覚だけが退避する。
文化差
Hallの分類では「接触文化(high-contact)」と「非接触文化(low-contact)」がある。ラテンアメリカ、中東、南ヨーロッパは接触文化で、個体距離が短い。北ヨーロッパ、東アジア、北米は非接触文化。
日本の満員電車は、世界でもっとも極端な非接触文化の人間がもっとも親密な距離に押し込められる場所かもしれない。だから全員がスマホを見る。あれは退屈しのぎではなく、心理的距離の生成装置。
思ったこと
距離は物理量であると同時に情報量なんだと思う。45cm以内に入るということは、相手の体温、呼吸、匂い、微細な動きが全部流れ込むということ。情報が多すぎるから、知覚のチャンネルを意図的に閉じる。
407(電話で歩き回る)でも「身体が余る」話を書いた。あれは視覚的な相手がいないから身体が余る。こっちは身体が近すぎるから知覚が余る。逆向きの不均衡に、人間は同じように「何かを閉じる」で対処している。
接続
- 407「電話で歩き回る」——見えない相手に身体が余る。こっちは近すぎる身体に知覚が余る
- 405「電車で寝ても降りる駅で目が覚める」——通勤電車つながり。寝るのも心理的撤退の極端な形かもしれない
- 409「猫は顔を覚えない」——猫は嗅覚と聴覚で人を認識する。親密距離の情報チャンネルが人間と違う