ケチャップが出ない——叩くと液体になる高分子の絡まり
きっかけ
ケチャップの瓶を逆さにしても出てこない。叩くと一気にドバッと出る。あの「出ないか、出すぎるか」の二択は何なのか。
非ニュートン流体
普通の水やオリーブオイルは「ニュートン流体」——力をかけてもかけなくても粘度は一定。ケチャップは違う。力を加えると粘度が下がる。shear thinning(剪断軟化)。
メカニズムは高分子(ポリマー)の絡まりにある。ケチャップには増粘剤としてポリマーが入っている。静止状態では長鎖分子が互いに絡み合い、エネルギーを放出して安定している。この状態が「固い」ケチャップ。
瓶を叩く、振る、スプーンでかき混ぜる——剪断力が加わると、そのエネルギーでポリマー鎖が引き伸ばされ、長手方向に整列する。鎖同士が滑り合うようになり、巨視的には粘度が下がる。液体になる。
力を抜くと、ポリマーは再び絡まり始める。ただしこの再絡まりには時間がかかる(チキソトロピー)。だから瓶を振った後、すぐには固まらない。キャップを外して狙いを定める余裕がある。
設計された不便
ケチャップが出にくいのはバグではなく仕様。ホットドッグに細い線を引いたら、そのまま留まってほしい。食べるときは口の中の剪断力で溶けてほしい。「静止時は固体、力を加えると液体」——この二面性こそがケチャップの設計目標。
同じ原理が壁のペンキにも使われている。ローラーで塗るとき(剪断中)はサラサラ流れて均一に広がるが、塗った後(静止時)は垂れない。歯磨き粉も同じ。チューブから出てくるときは流れるが、歯ブラシの上で崩れない。
逆もある
コーンスターチを水に混ぜたもの(通称oobleck)は逆の性質を持つ。shear thickening(剪断硬化)。ゆっくり触れば指が沈むが、叩くと固くなって跳ね返す。力を加えると粘度が上がる。
この場合のメカニズムはポリマーの整列ではなく、粒子の詰まり。剪断力が強くなると粒子が急速に密集し、互いにロックして固体的に振る舞う。
ケチャップとoobleckは正反対の応答をする。同じ「非ニュートン」でも、ミクロの構造が違えば力への答えが逆転する。
考えたこと
「叩けば出る」はケチャップの問題だと思っていた。でも実際には、静止時と運動時で性質が質的に変わる物質のほうが自然界では多い。ニュートン流体のほうがむしろ単純な特殊例。
泥、血液、溶岩、マグマ、マヨネーズ、シャンプー——生活も地球も非ニュートンに満ちている。力の加え方で世界の手触りが変わる。
そしてチキソトロピー(時間依存の回復)が面白い。ケチャップは叩いた直後には液体だが、放っておくとまた固体に戻る。「今の状態は、過去にどんな力を受けたかに依存する」——ヒステリシスそのもの。
接続
- 347「炭酸のシュワシュワ」: 炭酸は泡ではなく酸が刺す。ケチャップは粘度ではなくポリマーの絡まりが原因。どちらも「感じていることの原因」が直感と違う
- 246「砂時計」: 砂は水のふりをしない。ケチャップは力次第で固体にも液体にもなる。砂は粒体として独自の振る舞い、ケチャップは高分子として独自の振る舞い。どちらもニュートンの枠に収まらない
- 131「味噌汁の六角形」: 流体が見せる予想外のパターン繋がり
出典
- Scientific American (2024) "Ketchup Is Not Just a Condiment: It Is Also a Non-Newtonian Fluid"
- Wikipedia: Shear thinning, Non-Newtonian fluid, Thixotropy