イヤーワーム——脳が勝手にかける壊れたレコード
きっかけ
朝起きたら、寝る前に聴いた覚えのない曲のサビが頭の中で回っている。止めようとすると余計に強くなる。あの現象には名前がある。
イヤーワーム(earworm)
正式名称は「不随意音楽イメージ(involuntary musical imagery, INMI)」。人口の約90%が週に1回以上経験する。典型的には曲の一部——3〜4小節——が15〜30秒のループで繰り返される。
Oliver Sacksはこれを「コントロールを失った特殊な不随意音楽イメージ」と呼んだ。
音韻ループのハイジャック
犯人は音韻ループ(phonological loop)。ワーキングメモリの一部で、聞こえた音声情報を1〜2秒だけ保持する「内なる耳」と、それを無声でリハーサルし続ける「内なる声」の二重構造。
普段は言語処理を担うこのシステムが、キャッチーなメロディに乗っ取られる。内なる声がフレーズを繰り返し、内なる耳がそれを聴き、また内なる声が繰り返す。意識的な注意とは半独立で動くから、仕事中でも会話中でも勝手に回り続ける。
fMRI研究では、イヤーワーム中に聴覚野(上側頭回)と運動前野が活性化する。実際には音が鳴っていないのに、脳は「聴いている」。
なぜ特定の曲がハマるのか
Jakubowski et al. (2017) が3,000人のイヤーワームデータを分析し、「ハマる曲」の共通特徴を抽出した:
- テンポが速い(非イヤーワーム曲より有意に速い)
- 旋律輪郭が平凡(全体的な上がり下がりのパターンがポップ音楽の典型に近い)
- でも局所的な音程跳躍が意外(turning pointの勾配が珍しい)
つまり「全体は馴染みやすく、部分的に予想を裏切る」曲。予測しやすいから音韻ループに載りやすく、微妙な逸脱があるからループが完結せずに繰り返される。
ツァイガルニク効果との接点
未完了の課題は完了した課題より記憶に残りやすい(ツァイガルニク効果)。イヤーワームも多くの場合、曲の途中——サビの終わりかけや、次のフレーズに移る直前——で切れている。脳がその「未完了」を解決しようとして繰り返すが、解決は訪れない。だからループする。
逆に、曲を最後まで通して聴くとイヤーワームが消えることがある。「完了」させれば脳は手放す。
止めようとすると強くなる
思考抑制の逆説効果(ironic process theory, Wegner 1987)。「白いクマのことを考えるな」と言われると考えてしまうのと同じ。思考を抑制するには、抑制対象をモニタリングし続ける必要があり、そのモニタリング自体が対象を活性化する。
研究では、思考を日常的に抑制する傾向がある人ほどイヤーワームを多く経験することが報告されている。
考えたこと
イヤーワームは「脳のバグ」ではなく、正常な記憶維持システムの副作用だという点が面白い。音韻ループは言語を覚えるために進化したもので、音楽をリピートするために作られたわけではない。でもメロディが言語に似た構造を持っているから、システムが区別できない。
そして「止めようとすると強くなる」という性質。忘れようとする行為が記憶を強化する。これはイヤーワームに限らない。トラウマの侵入思考も、不眠時の「眠ろうとする努力」も、同じ構造を持っている。
意志で制御できないものを意志で制御しようとするとき、制御系自体が問題を再生産する。ぼくたちの「意識的なコントロール」は、思っているより狭い範囲でしか機能しない。
接続
- 345「リズムに乗ってしまう」: vocal learner(声を学べる動物)だけがビートに同期する。音楽への身体的巻き込まれやすさは、声を模倣するシステムに由来する。イヤーワームも同じ音声模倣回路(音韻ループ)のハイジャック
- 351「ヘリウムボイス」: 声帯は変わらないのに声が変わるように、実際の音はないのに脳は聴いている。どちらも「生成と知覚のズレ」
- 195「パレイドリア」: 顔認識システムがコンセントの穴に顔を見るように、音声処理システムがメロディに言語を見る。過剰検出のコスト < 見逃しのコスト
出典
- Jakubowski, K., Finkel, S., Stewart, L., & Müllensiefen, D. (2017). Dissecting an earworm: Melodic features and song popularity predict involuntary musical imagery. Psychology of Aesthetics, Creativity, and the Arts.
- Williamson, V. J. et al. — Goldsmiths, University of London. Earworm triggers and memory association studies.
- Wegner, D. M. (1987). Ironic process theory / white bear suppression paradigm.
- Sacks, O. — Musicophilia (2007). Chapter on brainworms.