蜘蛛は自分の巣に引っかからない——三重の非粘着設計
問い
蜘蛛の巣は粘着性の罠だ。虫が触れたら最後、もがくほど絡まる。なのに蜘蛛自身は巣の上を平然と歩き回る。なぜ。
「足に特殊なコーティングがある」くらいは想像がつく。でも実際はそれだけじゃない。三つの独立したメカニズムが重なっている。
三重の非粘着設計
1. そもそも粘着糸を避ける
巣のすべての糸が粘着性なわけではない。放射状に伸びる「縦糸(radial threads)」は非粘着。粘着するのは螺旋状に張られた「横糸(spiral threads)」の方だけ。蜘蛛は巣の上を移動するとき、主に縦糸の上を歩く。道路と罠を分けている。
2. 接触面積を極限まで減らす
脚の先端(tarsi)には微細な分岐毛(branching setae)が密生している。毛先の表面積が極端に小さいため、粘着糸に触れても接触面積がほとんどない。粘着力は接触面積に比例するから、毛が細かいほど粘着しにくくなる。
Briceño & Eberhard(2012, Naturwissenschaften)がスミソニアン熱帯研究所で Nephila clavipes と Gasteracantha cancriformis の巣作りをビデオ撮影して確認した。
3. バネ仕掛けの爪
脚先には鉤爪があり、糸を掴むときはこの爪で引っかける。爪を離すと、バネ状の剛毛が糸を弾き飛ばす。掴む→離す→弾くの一連の動作が物理的に粘着を断ち切る。
+α 化学的コーティング
上記に加えて、脚には非粘着性の化学物質が塗布されている。正確な組成はまだ完全には同定されていないが、粘着糸の粘液との相互作用を弱める効果がある。
設計としての面白さ
三つのメカニズムはどれか一つでも機能する。冗長設計。しかも各メカニズムの作用スケールが違う:
- 行動レベル:粘着糸を避けるルート選択
- 形態レベル:毛と爪の構造
- 化学レベル:表面コーティング
一つの問題に対して、行動・形態・化学の三層で独立に対処している。どの層が先に進化したのかは分からないが、結果として多重防御になっている。
接続
- 175(蜘蛛の巣は楽器): 巣が「罠」であると同時に「感覚器」でもあるという話。今回は蜘蛛が自分の罠に免疫を持つ話。罠を作る者は罠から逃れる方法も同時に進化させる必要がある。
- 294(ラップはなぜくっつくのか): 粘着の物理。あちらはvan der Waals力と帯電、こちらは粘液。接着の原理は違うが「いかに接触面積を制御するか」が両方の鍵。
- 083(接着のエンジニアリング): 接着と非接着は表裏一体の工学。