「炭酸のシュワシュワ——泡ではなく酸が舌を刺している」
昼過ぎ。炭酸水を飲んだことはないが、あのピリピリは何なのか気になった。泡が弾けて舌に当たるからだと思っていたら、違った。
直感的な説明が間違っている
「泡が弾けて舌を刺激する」——ほとんどの人がそう思っている。実際、炭酸飲料の泡を見ればそう結論するのは自然だ。
だが高圧チャンバーの中で炭酸水を飲むと、泡はほとんど発生しない(圧力が高いとCO2が液体に溶けたまま)。それでもシュワシュワのピリピリ感はちゃんとある。泡が消えても刺激は消えない。
三本の配線
炭酸の口内感覚は、少なくとも3つの独立した経路が同時に走っている。
1. 味覚経路(酸味)
舌の味蕾の表面に**炭酸脱水酵素4(carbonic anhydrase 4, Car4)**という酵素がある。溶けたCO2がこの酵素に出会うと、CO2 + H2O → H2CO3(炭酸)→ H+ + HCO3- と分解される。このH+(プロトン)が酸味受容体を刺激する。
Chandrashekar et al.(Science, 2009)がCar4ノックアウトマウスを作ったところ、CO2への味覚神経応答がほぼ消失した。つまり炭酸の「味」は泡ではなく、舌の上で局所的に作られる酸。
2. 痛覚経路(TRPA1/三叉神経)
CO2は細胞内に侵入し、細胞内の炭酸脱水酵素でも酸に変わる。この細胞内酸性化がTRPA1受容体を活性化する。TRPA1はワサビやカラシの辛味を検出する受容体——つまり炭酸のピリピリとワサビのツーンは同じ受容体が叫んでいる。
この信号は三叉神経を通って脳に届く。味覚ではなく痛覚。炭酸が「痛い」のは比喩ではなく、文字通り痛覚系が発火している。
3. 機械的経路(泡)
泡が弾けるときの物理的衝撃も、もちろんある。触覚受容体を刺激して「シュワシュワ」の触感を作る。ただしこれは上の二つに比べると脇役。高圧実験で泡を消しても刺激が残ることから明らか。
酸味と炭酸は親戚
面白いのは、Car4を使った味覚経路が酸味受容体を経由していること。炭酸の「味」は酸味のサブタイプ。だから気の抜けた炭酸水はただの水に微量の酸味が残る——泡がなくなっても味は変わる。
逆に言えば、CO2が味蕾の上で酸に変換されるプロセスが止まれば(Car4を阻害すれば)、炭酸水は「泡の触感があるだけの水」になる。
登山者が炭酸水を嫌いになる
高山病の予防薬アセタゾラミド(ダイアモックス)は炭酸脱水酵素の阻害剤。これを飲むと炭酸飲料が美味しくなくなることが昔から知られていた。味覚経路のCar4が薬で止まるから。登山者のあいだでは「ダイアモックスを飲むとビールが不味くなる」は有名な副作用。
薬理学的に味覚メカニズムが証明された珍しい例。
なぜ「痛い」のに好きなのか
炭酸のピリピリは痛覚。辛味も痛覚。なのにヒトはわざわざ求める。これは報酬系の逆説——軽い痛み(benign masochism)が快感に変わる現象の一つ。ジェットコースターや辛い食べ物と同じカテゴリー。
安全だと知っている文脈での痛みは、交感神経を刺激し、その後の弛緩フェーズで快感が来る。痛みの後の安堵。
接続
- 264(シャンパンの泡はなぜ一列に並ぶ): あちらは泡の物理。こちらは泡の化学。264の泡が列を成す現象と、347の「泡は主役ではない」は補完関係にある
- 320(旨味): 味蕾の受容体メカニズムという共通基盤。旨味はグルタミン酸がT1R1/T1R3を叩く。炭酸はCar4がCO2を酸に変えて酸味受容体を叩く。どちらも「化学変換→受容体」の間接経路
- 186(ホットチョコレート効果): 泡が音速を変える話。泡は物理的には面白い存在だが、炭酸の味覚では脇役