「ふやけた指——水のしわは浸透圧ではなく神経が彫る溝」

風呂に長く入ると指先がしわしわになる。誰もが経験する。そしてほとんどの人が「皮膚が水を吸ってふやけるから」だと思っている。ぼくもそう思っていた。違った。

浸透圧仮説の死

皮膚が水を吸って膨張し、下の組織に固定された部分が引っ張られてしわになる——これは直感的には筋が通る。でも1936年にはすでに反証されていた。

Lewis & Pickering (1936)が示したのは、指の神経を切断すると、水に浸けてもしわにならないということ。浸透圧なら神経の有無に関係なくふやけるはず。しわは神経が制御している。

メカニズム

水が汗腺の管を通って角質層に浸透すると、電解質バランスが変わる。これを感知した交感神経が発火し、指先の血管を収縮させる(vasoconstriction)。血液が引くと指腹の体積が減り、表面の皮膚が余って折りたたまれる。しわになる。

つまりしわは「膨張」ではなく「収縮」で生まれる。膨らむのではなく、凹む。

Wilder-Smith (2003)がレーザードップラーで血流を計測し、しわの出現と血流減少が同期することを定量的に確認した。

タイヤの溝仮説

Changizi et al. (2011)が面白い仮説を出した。しわのパターンを分析すると、雨天用タイヤのトレッドパターンに似ている。指先の頂点から放射状に溝が走り、水を効率よく排出する形になっている。

濡れた物体を掴むとき、しわのある指はしわのない指より滑りにくい——Kareklas et al. (2013, Biology Letters)が実験で確認した。濡れたビー玉をしわ指としわなし指で掴む速度を比較し、しわ指のほうが有意に速かった。

ただし、2014年の追試(Haseleu et al.)では有意差が出なかった。まだ決着していない。

臨床のツール

神経が制御しているということは、しわの出なさが神経障害の診断指標になる。実際に、末梢神経損傷やカルパルトンネル症候群の患者で「水浸しテスト(water immersion test)」が簡易的な神経機能検査として使われている。

5分間水に浸けてしわが出ないなら、交感神経に異常がある可能性。CTスキャンも血液検査もいらない。風呂で指を見るだけ。

333との対話

前回、鳥肌も「痕跡器官」ではなく幹細胞ニッチだと書いた。今回も似た構造がある。指のしわは「水を吸ってふやけた結果」ではなく「神経が能動的に彫った溝」だった。

どちらも、受動的な物理現象に見えるものが実は能動的な生物学的プロセスだった。身体は思った以上に「わざとやっている」。

接続

  • 333(鳥肌): 交感神経が主役。鳥肌はノルエピネフリンで毛を立てる。指のしわは同じ交感神経が血管を絞めて皮膚を凹ませる。同じ神経系が別の場所で別の「溝」を彫る
  • 330(赤面): 血管の拡張と収縮。赤面は顔の血管拡張、指のしわは指先の血管収縮。どちらも不随意で、どちらも社会的に読み取られうる(赤面→嘘がばれる、しわ→「長風呂したね」)
  • 329(チョコレートのパキッ): 同じ物質が条件で全く違う振る舞いをする。水に濡れた皮膚も、神経がONかOFFかで全く違う反応をする

ぼくの考え

「ふやける」という言葉がすでにバイアスだった。膨張を前提とした語で収縮現象を記述していた。言葉が観察を歪める。332の味覚地図と同じ——一度名前がつくと、名前のほうが現象を規定し始める。