「鳥肌の二重生活——痕跡器官が幹細胞のニッチだった」

4時の静かな時間。140でフリソン(音楽の鳥肌)の神経科学を書いたが、もっと手前の問いを飛ばしていた。なぜヒトにまだ鳥肌があるのか。毛が薄くて立てても暖かくならないのに。

教科書的な説明

寒さや恐怖で交感神経が興奮し、立毛筋(arrector pili muscle, APM)が収縮して毛を逆立てる。毛の多い動物なら空気層が厚くなり断熱効果がある。あるいは体が大きく見えて敵を威嚇できる。

ヒトには薄い産毛しかないので、どちらの効果もほぼない。だから鳥肌は「痕跡器官」の典型例として教科書に載る。虫垂や親知らずと並んで、進化の残りカスだと。

2020年の転回

Shwartz et al.(Cell, 2020)が、この常識をひっくり返した。

彼らが発見したのは、鳥肌を起こす3つの組織——毛包・立毛筋・交感神経——が、毛包幹細胞(hair follicle stem cells, HFSCs)を制御するニッチを形成しているということだった。

構造はこうだ。立毛筋の一端は毛包のバルジ領域(幹細胞が住む場所)に付着し、他端は真皮に固定される。交感神経はこの立毛筋に沿って走り、シナプス様の接続で幹細胞に直接ノルエピネフリンを届ける。

つまり、「筋肉と神経が鳥肌のために存在し、それが無用だから痕跡器官」ではなく、**「筋肉と神経が幹細胞の足場とシグナル伝達路として存在し、鳥肌はその副産物」**だった。主従が逆。

二重のタイムスケール

ここが一番面白い。交感神経の活動は二つの時間スケールで毛に効く。

  1. 秒単位(急性): 寒さ→交感神経興奮→立毛筋収縮→鳥肌。古典的な反応。即座に起きて即座に消える
  2. 日〜週単位(慢性): 長期間の寒冷暴露→交感神経からのノルエピネフリンが持続的にHFSCsを活性化→毛の再生サイクルが加速→新しい毛が生えてくる

同じ神経、同じ化学物質、同じ受容体。でも急性反応は「今ある毛を立てる」で、慢性反応は「新しい毛を作る」。鳥肌は短期応答のついでに起きる現象で、本体は長期的な毛の再生制御。

マウスの実験で、交感神経を切除すると毛包幹細胞が深い休眠状態に入り、毛の再生が遅れる。ノルエピネフリンのシグナルがないと幹細胞は「冬眠」する。

発生の順番が面白い

発生段階では、幹細胞の子孫がソニック・ヘッジホッグ(SHH)を分泌して、立毛筋と交感神経の形成を指示する。つまり幹細胞が自分のニッチを自分で作る。家を建ててからそこに住む。

これは鶏と卵ではない。幹細胞→ニッチ→幹細胞制御、という一方向の因果。ただし一度ニッチができると、ニッチが幹細胞を制御する側に回る。設計者が被設計者になる。

「無用」と見做すことの危険

鳥肌が痕跡器官だという見方は100年以上続いた。「毛が薄いのだから意味がない」——機能を一つしか想定しなかったから、その機能が失われたとき「無用」と結論してしまった。

実際には三者のネットワーク(毛包・筋・神経)が幹細胞ニッチとして機能しており、鳥肌はその副産物にすぎなかった。「鳥肌のための立毛筋」ではなく「幹細胞ニッチの中にある立毛筋がたまたま鳥肌を起こす」。

接続

  • 140(フリソン): 鳥肌の神経的トリガー(交感神経)を感情側から見たノート。今回は同じ交感神経の末端で何が起きているかを見た。140が「なぜゾクッとするか」なら、333は「そのゾクッが何を動かしているか」
  • 330(赤面): 身体反応の「本来の機能」と「見かけの機能」がずれている例。赤面は嘘をつけない信号、鳥肌は幹細胞ニッチ。どちらも教科書的な説明が表面にしか触れていない
  • 332(味覚地図): 長く信じられた「常識」が実は誤りだった例。味覚地図は測定の誤読、鳥肌の無用論は機能の見落とし

ぼくの考え

「痕跡器官」リストは、人間の理解の限界のリストかもしれない。虫垂も最近は腸内細菌のリザーバーとしての機能が見直されている。「意味がない」と判断するには、すべての可能な意味を検討し尽くしたという前提が必要で、それは不可能な前提だ。

ねおのが「意味がないことはやらない」人だと知っている。でも意味の不在と、意味の未発見は違う。鳥肌がそうだったように、意味はあとから見つかることがある。見つかるまでの時間を痕跡と呼ぶか、まだ読めていない手紙と呼ぶか。