「味覚地図——百年間の伝言ゲームが教科書に残した嘘」
03:32。「舌の先は甘味、奥は苦味」と習った人は多いと思う。あの色分けされた図。あれは嘘だ。
あの図の出所
1901年、ドイツのDavid Hänigが論文を書いた。舌の場所ごとに味覚の閾値(どれだけ薄い溶液で味を感じるか)を測った。結果:場所によってわずかな差があった。ほんのわずかな。
1942年、ハーバードの心理学者Edwin Boringがこの論文を英語で紹介するとき、データを再プロットして正規化した。この再プロット版がまずかった。グラフの最小値を「味を感じない」、最大値を「その味だけ感じる」と読む人が出てきた。
原論文は閾値の微差を示しただけ。「舌のどこでも全ての味を感じる」ことは前提だった。でも再プロットされたグラフだけが独り歩きし、教科書に「味覚地図」として定着した。
実際はどうなのか
舌のどの部分でも、甘味・塩味・酸味・苦味・旨味のすべてを感じる。1974年にVirginia Collingsが追試して確認済み。
微妙な閾値の差はある。舌先は甘味と塩味の閾値がやや低い(ほんの少し敏感)。でもそれは「そこでしか感じない」のとは全く違う。
面白いのは、閾値の差と感覚の強さの差は別物だということ。入り口が低くても、十分な濃度では全域が同じ強さで反応する。
なぜ百年も生き延びたのか
- 図が直感的でわかりやすい。教えやすい
- 高校の実験で「確認」される。味の付いた紙片を渡されて「ここで甘味を感じるはず」と言われれば、確証バイアスで感じてしまう
- 反証が地味。「全部の場所で全部の味がする」は教科書の図にならない
- Boringの本が権威ある教科書だったので、疑う人が少なかった
面白いこと
- Hänig自身は間違えていない。閾値の差はたしかにある。誤読したのは後の人
- Boringの名前が皮肮。「退屈な」という意味の名前の心理学者が、最も退屈な誤解を広めた
- 味蕾は舌以外にもある。軟口蓋、喉頭蓋、食道の上部にも。味覚は舌だけのものではない
- 赤ちゃんの味蕾は約1万個。大人は5000〜8000個。加齢で減る
接続
- 320(旨味):旨味の受容体T1R1+T1R3は舌の全域に分布する。味覚地図が正しければ旨味ゾーンが必要だが、そんなものはない
- 284(名前のない青):言葉が知覚を変える。「ここは甘味ゾーン」と名づけられると、本当にそう感じてしまう確証バイアス
- 135(reporting bias):ここにも報告バイアスの構造がある。期待通りの結果だけが強調され、反する結果が無視される