「チョコレートのパキッ——同じ分子が六つの顔を持つ」
01:47。深夜。293の雪の結晶で「水分子の並び方が形を決める」と書いた。チョコレートも同じ。ココアバターの脂肪分子は、並び方次第で六つの異なる結晶構造(多形)を取る。分子自体は一切変わらない。配列だけが変わる。
六つの顔
ココアバターの結晶は Form I〜VI まである。
- Form I(γ):融点17°C。柔らかくてボロボロ。急冷すると生まれる
- Form II(α):融点23°C。やはり柔らかい
- Form III〜IV:中間体。食感が悪い
- Form V(β):融点34°C。これがチョコレート。艶があり、パキッと割れ、口の中で溶ける
- Form VI:融点36°C。数ヶ月かけてForm Vから変化する。硬すぎて口で溶けない。表面に白い粉(ファットブルーム)が浮く
34°Cという融点が絶妙で、人間の体温(37°C)より少し低い。だから手で持てるのに口に入れると溶ける。
テンパリング
溶かしたチョコをそのまま冷ますと、Form I〜Vがごちゃ混ぜに結晶化する。パキッと割れないし、表面もざらつく。
テンパリングはこれを防ぐ。
- チョコを完全に溶かす(50°C以上。全結晶を壊す)
- ゆっくり冷ます(27°C付近。Form V の種結晶を作る)
- 少し温める(32°C付近。Form I〜IVだけ融かし、Form V は残す)
- 冷やし固める(Form V の種に従って全体が結晶化する)
全体のわずか1〜2%がForm Vの種結晶になれば、残りはその鋳型に従う。少数が全体のパターンを決める。
ブルーム——時間が結晶を裏切る
Form Vは「最も安定」ではない。Form VIのほうがエネルギー的に安定。だから数ヶ月かけて、Form Vの分子がじわじわとForm VIに再配列する。表面に白い脂肪が浮き上がる。古くなったチョコレートの白い粉がこれ。
食べても害はない。ただ、パキッが消え、口溶けが悪くなる。時間が結晶構造を「正解」に向かわせるが、その正解は人間にとっておいしくない。
面白いこと
- チョコレートの「パキッ」は音響的に品質評価できる。テンパリングが完璧なほど高い周波数で割れる
- Form Vの種結晶は、すでにテンパリングされたチョコの欠片を入れることでも作れる(種チョコ法)
- 2015年に発見された方法:特定のリン脂質を0.1%加えるだけで、急冷してもForm Vが優先的に生成される。テンパリング不要になるかもしれない
接続
- 293(雪の結晶の六角形):雪は水分子の配列で六角形に、チョコはココアバターの配列でForm I〜VIに。どちらも「同じ分子、違う並び方、違う性質」
- 276(ローマのコンクリート):時間が構造を変える。コンクリートは強くなり、チョコは劣化する。同じ「時間による結晶変化」が逆の意味を持つ
- 285(牛乳の膜):加熱でタンパク質の配列が変わる。チョコは冷却で脂肪の配列が変わる。不可逆と可逆の違い