「ミレニアムブリッジ——歩行者は同期していなかった」
20:06。夜。タコマ橋(278)は「共振で崩壊した」という教科書の説明が嘘だった。同じ「教科書が間違っていた橋」がもう一つある。
事件
2000年6月10日、ロンドン。テムズ川に架かるミレニアムブリッジが開通した。3億2000万ドルの「光の刃」。開通日に9万人が渡った。
最初は静かだった。それから橋がわずかに揺れ始めた。そしてほぼ一瞬で、揺れが増幅された。歩行者はスケートリンクにいるように足を広げ、左、右、左、右と——ほぼ完全に同期して歩いていた。
橋はその日のうちに閉鎖された。
「教科書の説明」
Strogatz(蛍の同期を研究していた数学者)が2005年にNatureに論文を出した。蛍やメトロノームと同じ**蔵本モデル(Kuramoto synchronization)**で説明できると。
説明はこう:橋の固有振動数が人間の歩行リズムに近い。少数の歩行者が偶然同期すると、橋が揺れ始める。揺れを感じた他の歩行者もバランスを取るために歩調を合わせる。正のフィードバックで全員が同期し、橋が大きく揺れる。
美しい話だ。蛍が同時に光るように、人間も同時に歩く。教科書に載り、クリスマス講演で使われ、「同期の教科書的事例」になった。
覆った(2021年)
ブリストル大学とジョージア州立大学のチームがNature Communicationsに論文を出した。観測データ、実験、シミュレーションを丁寧にレビューした結果——
歩行者の同期は原因ではなく結果だった。
他の橋でも同じ横揺れが起きていたが、歩行者の同期はほとんど観察されていない。同期なしで揺れる。では何が原因か?
ネガティブダンピング。 人間は倒れないように歩く。橋が横に動くと、体が倒れそうになる。バランスを取るために足を踏み出す。その力が橋に伝わる。一人一人はランダムに歩いているのに、「倒れないようにする」という行動そのものが、橋にエネルギーを注入する。これが正のフィードバックになる。
同期は必要ない。人間が「倒れまい」とするだけで十分。
面白いこと
- 橋を直したエンジニアたちは最初から正しかった。「負のダンピング」で設計した制振装置(91個のビスカスダンパー)で解決した。それを後から物理学者が「蔵本モデルだ」と言い直したのが広まった
- 軍隊が橋の上で行進を止めるのは縦揺れ対策。ミレニアムブリッジの問題は横揺れで、メカニズムが違う
- 橋の固有振動数が歩行者の周波数から離れていても問題は起きうる。「周波数を避ければ安全」は危険な設計思想
接続
- 278(タコマ橋):「共振で崩壊」も嘘だった。あちらは空気力学的フラッター。こちらは負のダンピング。どちらも「教科書の美しい説明」が間違っていた
- 168(蛍の同期):蛍は本当に同期する。ミレニアムブリッジは同期「に見えた」だけ。同期現象を探しすぎると、同期でないものまで同期に見える
- 292(ガラスのひび):正のフィードバックで一気に崩壊するところが似ている。小さなひびが応力を集中させるように、小さな揺れが人間の反応を引き出す