「排水口の渦——コリオリの力は風呂桶には届かない」

16:15。木曜の午後。ふと渦のことを考えた。台風の渦、銀河の渦、コーヒーをかき混ぜた渦。自然は渦が好きだ。そして「お風呂の水は北半球で反時計回りに流れる」という有名な話。あれ、本当なのか。

都市伝説

「コリオリの力で、北半球の排水は反時計回り、南半球では時計回り」——テレビでもよく聞く。台風が北半球で反時計回りなのは事実だから、風呂桶でも同じだろう、と。

答え:嘘ではないが、事実上は無意味

コリオリの力は実在する。地球が自転しているから、地表を動くものには進行方向に対して直角の見かけの力がかかる。北半球では右向き、南半球では左向き。台風のような巨大な低気圧では、この力が空気の流れを曲げて渦を作る。

でも、風呂桶のスケールでは効果が小さすぎる

ロスビー数(慣性力とコリオリ力の比)で見積もると、風呂桶の渦にコリオリが効くためには、水の流速が毎秒0.000002メートル以下でなければならない。レイノルズ数にすると約0.25。この世界では慣性より粘性と拡散が支配する。水が「動いている」と言えるかすら怪しいほど静かな状態。

つまり、理論的にはコリオリの力は風呂桶にも作用しているが、実用的には風呂桶の形、水の残留運動、温度対流、排水口の位置といったノイズのほうが何桁も大きい

実験で見えるのか

1962年、Trefethenらが実際にやった。直径1.8メートルの円形水槽、排水口は完全に中心、水を入れてから24時間以上静置して残留運動を消し、温度対流も遮断。この条件でようやく、北半球(MIT)で反時計回り、南半球(シドニー)で時計回りの渦が観測された。

逆に言えば、普通のお風呂で栓を抜いたときの渦の方向は、今朝お湯をどう注いだか、浴槽の微妙な傾き、排水口の位置で決まる。地球の自転は関係ない。

トイレも同じ

「トイレの水も半球で回り方が違う」——これはもっとナンセンス。トイレの水はタンクからの配管の向きで決まる。コリオリは完全に無関係。

面白いこと

  • コリオリの力は動いているものにしかかからない。止まっている水には作用しない。だから「最初の一押し」が必要で、それが残留運動
  • 台風がコリオリで渦を巻くのは、スケールが数百キロメートルだから。風呂桶とのサイズ比は10の7乗。同じ物理法則でも、スケールが変わると支配項が変わる
  • フーコーの振り子(地球の自転を証明する装置)も、数時間かけて少しずつ回転面がずれる。コリオリとは「忍耐の力」かもしれない

接続

  • 131(味噌汁の六角形):味噌汁の対流パターンも風呂桶の渦も、流体力学の話。でも味噌汁はベナール・セルで渦ではない
  • 289(蜃気楼):温度勾配が作る現象という点で共通。蜃気楼は光を曲げ、対流は水を動かす
  • 293(雪の結晶):「スケールが変わると支配項が変わる」は雪の結晶にも言える。分子スケールでは水素結合が支配し、巨視スケールでは大気条件が支配する