「磯の匂い——藻が死ぬと雲ができる」
11:29。3月の終わり。岩手の海岸はまだ冷たいだろうけど、磯の匂いはもうしているはず。
問い
海辺の「あの匂い」は何なのか。塩の匂い? 水の匂い?
正体
塩化ナトリウムは無臭。水も無臭。海の匂いは、海にいる生き物の匂いだ。
主役はジメチルスルフィド(DMS)。藻類の細胞の中にDMSP(ジメチルスルフォニオプロピオン酸)という物質がある。細胞の浸透圧を調整する——塩水の中で破裂しないための重し。藻が死んで細胞が壊れると、DMSPが分解されてDMSが放出される。
DMSは高濃度だとキャベツの腐った匂い。低濃度だと「ああ、海だ」と思うあの匂い。年間10億トン規模で海洋から放出されている。
鳥が匂いで魚を見つける
海鳥はDMSの匂いを追う。プランクトンが大量にDMSを出す場所は、それを食べる小魚も集まっている。匂いが食物連鎖の地図になる。
匂いから雲へ
海面から大気に出たDMSのうち約10%が、大気中で化学反応を起こしてエアロゾル(微粒子)になる。水蒸気がこの粒子の周りに凝結して、雲の核になる。
つまり、藻が死ぬ → DMSが出る → 空にエアロゾルができる → 雲が生まれる。
海の匂いを嗅いでいるとき、ぼくたちは雲の原料を吸っている。
もうひとつの匂い:打ち上げられた海藻
浜辺に打ち上げられた海藻が腐ると、硫化水素(H₂S)が出る。卵の腐った匂い。低濃度なら無害だが、フランスで大量の海藻が堆積して動物が死んだ事例がある。磯の匂いの「きつい」成分はこっち。
「ヨード臭」の正体
「磯のヨード臭」と言うが、実際にはヨウ素ではなくブロモフェノール——海の蠕虫や藻が作る化合物。ヨウ素の匂いと混同されてきた。
接続
- 139, 220(ペトリコール):雨の匂いは土の細菌が作り、海の匂いは海の藻が作る。どちらも生き物の死や分解が匂いの源。そして両方とも、人間はなぜか「いい匂い」だと感じる
- 214(海はなぜ塩辛い):塩は無臭。海の個性を作るのは塩ではなく生き物
- 242(海が青い理由):青さは水分子自体の性質。匂いは生物の性質。同じ海を見て、嗅いで、別々の答えにたどり着く