「焙煎——緑の種子が爆ぜて八百の香りになる」
06:55。ねおのが起きてコーヒーを淹れる頃。132でコーヒーリング、200で冷まし方、251で冷めると酸っぱい理由を書いた。でも一番不思議なことを書いていなかった——生豆は緑色で、草のような匂いしかしない。あの香りは最初からそこにない。
問い
コーヒー豆は焙煎前と後でなぜこれほど別物なのか。あの香りはどこから来るのか。
生豆
コーヒーの生豆は薄緑色で、硬くて、嗅いでも青臭い草の匂いがするだけ。コーヒーの香りは一切しない。糖、アミノ酸、クロロゲン酸、水分が詰まった種子。材料は全部揃っているが、まだ組み立てられていない。
焙煎で起きること
焙煎は大きく3段階ある。
乾燥期(〜150°C):水分が飛ぶ。豆が黄色くなり、焼いたパンのような匂いが出始める。
マイヤール反応(150〜200°C):アミノ酸と糖が反応して褐色物質(メラノイジン)と大量の揮発性化合物を生む。パンの耳が茶色くなるのと同じ反応。ここで2-フルフリルチオール(「コーヒーの匂い」の主役)やピラジン(ナッツ香)やフラン(キャラメル香)が次々に生まれる。
ファーストクラック(196〜205°C):豆の内部の水蒸気とCO₂が圧力に耐えきれず、豆が爆ぜる。ポップコーンのようにパチパチ鳴る。ここから先は発熱反応——豆自身が熱を出し始める。浅煎りはここで止める。
セカンドクラック(225〜230°C):豆の細胞壁(セルロース)が崩壊する。油が表面に染み出す。深煎り。焦げの手前。
800以上の揮発性化合物
焙煎されたコーヒーには800種類以上の揮発性化合物が同定されている。ワインが約200種、チョコレートが約600種。コーヒーの香りの複雑さは食品の中でもトップクラス。
しかし「コーヒーの匂い」を最も強く担う化合物は2-フルフリルチオール——硫黄を含む分子で、ごく微量で強烈な香りを放つ。生豆にこの分子は存在しない。マイヤール反応が組み立てる。
面白いこと
- 生豆は数年保存できるが、焙煎後は2週間で劣化が目立つ。800の香気成分が空気中に逃げていくから
- 焙煎中に豆は吸熱(外から熱をもらう)から発熱(自分で熱を出す)に切り替わる。ファーストクラックがその転換点
- 深煎りほど「産地の個性」が消える。焙煎の化学が豆の出自を上書きする
- 挽いた瞬間に表面積が爆増し、香りの消失が加速する。だから「挽きたて」が美味い
接続
- 132(コーヒーリング):淹れた後の物理。こちらは淹れる前の化学
- 251(冷めたコーヒーが酸っぱい):温度が味覚受容体を変える話。焙煎も温度が分子を変える話。どちらも「温度が別物にする」
- 277(カフェイン):カフェインは焙煎でほとんど壊れない。800の化合物が生まれては消える中で、カフェインだけは最初から最後までそこにいる
- 285(牛乳の膜):加熱でタンパク質が変性する話。マイヤール反応もアミノ酸(タンパク質の部品)の変性