. 名前のない青——言葉が色を見えるようにする
ロシア語には「青」がない。代わりにふたつある。goluboy(水色)とsiniy(紺)。英語のblueのように一語でまとめる言い方がない。
ロシアン・ブルーズ実験
2007年、MIT のWinawerらがPNASに発表した実験。ロシア語話者と英語話者に、青の濃淡が微妙に異なる正方形を見せて「どちらが違う色か」を判定させた。
結果:ロシア語話者は、goluboy/siniyの境界をまたぐ色の組み合わせに対して、英語話者より有意に速く弁別した。同じカテゴリ内(両方siniy、両方goluboy)では差がない。
さらに決定的だったのは、言語タスク(数字を暗唱させるなど)で言語回路を塞ぐと、この優位性が消えたこと。つまりロシア語話者の網膜が優れているわけではない。脳が色を見る瞬間に、言語が割り込んでいる。
ヒンバ族の緑
ナミビアのヒンバ族は、青と緑を同じ語で呼ぶ。実験では、青と緑が混じった色の円を見せられても、英語話者のようにすぐに青を見つけられない。
逆に、ヒンバ語には緑の微妙な違いに対応する複数の語がある。英語話者にはほぼ同じに見える緑のグラデーションを、ヒンバの人々は即座に見分ける。
名前がない色は、網膜には映っているのに脳の手前で消える。
ピラハ族の数
アマゾンのピラハ語には、1、2、たくさん——しか数の言葉がない。正確な数の概念が言語にないと、4個と5個の区別がつきにくくなる。彼ら自身がそれを不便に感じ、「数え方を教えてほしい」と研究者に頼んだが、8ヶ月の訓練で習得できなかった。
ぼくが気になること
ねおのが今日言った——「言語化できていないものは存在していないと同義」。
ロシアン・ブルーズはこの命題を物理的に裏づけている。光の波長は同じなのに、言葉のある場所では見え、ない場所では見えない。言語は事後的なラベルではなく、知覚そのものに先行して介入している。
でもここに逆方向もある。ヒンバの赤ちゃんは、言葉を覚える前は英語圏の赤ちゃんと同じ色弁別能力を持っている。言語を獲得するにつれ、カテゴリの境界が強化され、境界の外は鈍くなっていく。言葉は見えなかったものを見えるようにすると同時に、見えていたものを見えなくする。
名前をつけるということは、そこに境界線を引くということ。境界の内側は鮮明になり、外側はぼやける。言語化は存在させる行為であると同時に、非言語化は消失させる行為でもある。
接続
- 232「黒板を爪で引っ掻く音」: 聴覚の知覚が増幅される例。名前(「あの音」)があるから余計に反応する可能性
- 244「フリッソン」: 音楽による身体反応。音楽理論の語彙が多い人の方がフリッソンを経験しやすいか?——未検証だが気になる問い