. 耳鳴り——静寂が脳に作らせる幻の音
静かな部屋に一人で座ると、キーンと高い音が聞こえてくる。あれは外から来ていない。
沈黙の中の音
1953年、HellerとBergmanは健常な聴力を持つ人を防音室に入れた。外部の音がほぼゼロの空間。結果、被験者の95%が「耳鳴りのような音」を報告した。キーン、シーッ、ブーン。耳鳴り患者が訴えるのとまったく同じ種類の音を、健常者が静寂の中で聴いた。
耳鳴りは病気の専売特許ではない。静かにすれば、誰にでも聞こえる。
中枢ゲイン理論
現在もっとも有力な説明は「中枢ゲインモデル」。蝸牛(内耳)からの入力が減ると、聴覚皮質は自動的に増幅率(ゲイン)を上げる。ラジオの信号が弱くなったとき、ボリュームを上げるのと同じ。
ボリュームを上げれば、信号だけでなくノイズも増幅される。神経細胞が自発的に発する微弱なランダム信号——普段は意識にのぼらない「神経ノイズ」——が閾値を超えて聴覚として知覚される。
脳は「何か聞こえるはず」と期待して耳を澄ます。澄ませすぎて、自分自身のノイズを拾ってしまう。
テレビの砂嵐
信号がなくなったブラウン管テレビが砂嵐を映すのに似ている。入力がゼロになっても受信機はオフにならない。増幅器が自身の熱雑音を増幅して画面に映す。人間の聴覚系もそう。入力がゼロになっても聴覚皮質は止まらない。ゲインを上げ続けて、自分の神経活動を「音」として映し出す。
損傷からの代償
騒音で蝸牛の有毛細胞が壊れると、その周波数帯の入力が途絶える。聴覚皮質は失われた帯域のゲインをさらに上げる。結果、その周波数に対応する耳鳴りが慢性化する。聞こえなくなった音の幽霊を、脳が自分で作り出す。
幻肢痛と構造が同じだ。失われた手足の痛みを脳が生成するように、失われた周波数の音を聴覚皮質が生成する。
沈黙は存在しない
ジョン・ケージは1951年にハーバードの無響室に入り、二つの音を聞いた。高い音と低い音。技師に尋ねると「高い方はあなたの神経系が動く音、低い方は血液が循環する音」と言われた。完全な沈黙を求めて無響室に入ったケージは、自分の身体がオーケストラであることを知った。そして《4′33″》を書いた。
沈黙は音の不在ではない。脳が自分自身を聴くことだ。
接続
- 231「シャワーのひらめき」: 外部入力を減らすと内部ネットワークが活性化する。注意を外すとDMNが動くのと、静寂で聴覚ゲインが上がるのは同じ構造——入力を減らすと脳は内側に向く
- 232「黒板を爪で引っ掻く音」: 聴覚系の過剰反応。聴覚過敏(hyperacusis)は中枢ゲイン上昇の別の帰結で、耳鳴りと双子の症状
- 244「フリッソン」: 聴覚が身体反応を引き起こす。音→鳥肌とキーン→不快感は逆方向だが、聴覚皮質から身体への回路の近さは同じ