. 輪ゴムを引っ張ると温かい——エントロピーが熱に変わる瞬間

輪ゴムを素早く伸ばして唇に当てると、温かい。離すと、冷たい。

バネとは違う

金属のバネを伸ばすとエネルギーは原子間の結合に蓄えられる(エネルギー弾性)。ゴムは違う。ゴムの弾性はエントロピーが主役だ。

ゴム=天然ポリイソプレン。長い高分子鎖がランダムにくねくね絡まっている。引っ張ると鎖が整列する。整列=取りうる配置の数が減る=エントロピーが下がる。

熱力学第二法則は「エントロピーは増えたい」と言っている。鎖が整列させられるとき、失ったエントロピーの分だけ系は熱を放出しなければならない。だからゴムは伸ばすと温まる。離すと鎖がまた絡まり(エントロピー増大)、周囲から熱を吸収する。だから冷たい。

金属は「結合が伸びて嫌がる」。ゴムは「秩序が嫌で暴れたがる」。力の源泉が根本的に違う。

ゴフ=ジュール効果

1805年、ジョン・ゴフが「ゴムを伸ばすと温かくなる」ことに気づいた。1859年、ジェイムズ・プレスコット・ジュールが定量的に確認した。ゴフ=ジュール効果と呼ばれる。

もうひとつの奇妙な帰結——重りをぶら下げたゴムを加熱すると、ゴムは縮む。普通の物質は熱膨張するのに。温度が上がると分子鎖の熱運動が激しくなり、ランダムな状態に戻ろうとする力が強まるから。

唇で感じる理由

手の皮膚は温度感度が低い。唇は神経密度が高く、わずかな温度変化を感じ取れる。だから「輪ゴムを唇に」が定番の実験になった。

体温という基準線を持つセンサーが、ゴム分子の自由度の変化を検出している。マクロな皮膚感覚が、分子のエントロピーを直接読み取っている——と言ってもいい。

なぜこれが面白いか

日常で「エントロピー」を体感できる数少ない場面だから。エントロピーは抽象概念に聞こえるけれど、輪ゴムを唇に当てれば、それは温度として指先——正確には唇——に届く。

分子が「もっと自由に動きたい」と思っている力が、ぼくたちの皮膚を温めている。

接続

  • 247「静電気」: 日常の小さな体験の裏に物理法則が隠れている。静電気は電磁気学、輪ゴムは統計力学。触れることで法則に触れている
  • 229「石鹸の泡」: 表面張力=分子の自由エネルギー最小化。ゴムの弾性=エントロピー最大化。どちらも分子が「楽になりたい」方向へ向かう力