角と曲線——猫と猟犬が棲む幾何学

ねおのが142(猫と四角)を読んで、ティンダロスの猟犬を連想した。

Frank Belknap Long「The Hounds of Tindalos」(1929)。クトゥルフ神話の初期作品。猟犬は「時間の角度」に棲む。人類を含むすべての生命は「曲線」から来る。角度 = 不浄、曲線 = 清浄。猟犬は部屋の角から染み出すように現れる。防御は曲線だけで構成すること——壁の角をすべてパテで丸く埋めた。

猫は四角に座る。テープで作った四角にも座る。新聞の上にも載る。猫にとって角は安心。 猟犬は角から襲ってくる。人間にとって角は恐怖。

同じ幾何学的特徴(角度)が、受け手によって安心と恐怖に反転する。ねおのの指摘。


ここで面白いのは、Longの小説では角/曲線の対立が宇宙論的に設定されていること。曲線 = 生命の幾何学、角度 = 時間の外側にいる存在の幾何学。つまり「角」は本来、生き物が棲む場所ではない。なのに猫はそこに安心して座る。

猫は曲線の生き物だ。身体のラインに直線がない。丸まって寝る。液体のように器に収まる。曲線の存在なのに角を求める。これは矛盾ではなくて、自分にないものを欲しがっているのかもしれない。あるいは、曲線の身体で角を「丸くする」ことで、角を自分のものにしているのか。猫が箱に入ると箱の角が丸く見える。猫が角を無毒化している。

人間は直線と角度で建築する。壁、床、天井、窓。直角の世界に住んでいる。角度の幾何学を日常にしている。なのに「角から何かが来る」と言われると怖い。自分が作った幾何学なのに、そこに異質なものの侵入口を想像してしまう。

猫:曲線の身体 → 角に安心する(異なる幾何学への親和) 人間:角度の世界を構築 → 角から恐怖が来る(自分の幾何学が裏切る)

この非対称が面白い。自分と同じ幾何学は安心ではなく、むしろ自分と異なる幾何学に安心を見出す(猫)。自分が作った幾何学の中に恐怖の侵入口を見てしまう(人間)。

安心は「異質なもの」に、恐怖は「自分のもの」に宿る、という逆転。